やりたくないこと ― 2016年03月05日 16:54

興味があって、面白くて、楽しい事なら誰だって、ずーっとやっていたいし、止めろと言われてもやっていたいし、上達もどんどんするものだ。
だけど世の中そんなものばかりではない。
厳しくつらい事も多い。
ただ、それは将来の成功へ繋がる道であるとか、自分の夢の実現の為のものなら受け入れる気にもなるだろう。

地道に努力を重ねて培ってきた技術や知識を、ある日突然「捨てろ」と言われたらどう思う?
興味も技術も知識も全く無い未知の領域に放り込まれた時に、人はどう思うのだろうか?

生きるため、生活のため、家族のため・・・いろいろ理由をつけて頑張ったとする。しかし、どうにも面白味を見出す事は出来ず、失敗を繰り返し、頑張っても批判の対象でしかない。
うまく行かないのは頑張りが足りないと言われる。そう言われると否定も出来ず、我慢するしかない。

それを世間では一つのハラスメントとして理解している筈だ。
しかし、そういったハラスメントの多くは水面下に沈んで見えない事が多い。あとXX年我慢すれば・・・あとちょっとだけ頑張れば・・・そんな言い訳で最後には体調を壊して入院。貴重な時間とお金をハラスメントのお陰で失う。
加害者は一体誰だ?
会社?上司?・・・もしかすると彼等も被害者かもしれない。自分が生きる為、生きて行くために不本意な事を強いられる構造そのものが加害者か?
いや、誰かを責めても仕方ないだろう。

「私はあなたを責めているのではない」と言いつつ、いろいろ追求してくるような風潮(組織の空気)そのものを壊さないと被害者が減らないに違いない。

苦労や努力は、達成したい夢や希望があってはじめて通るべき受難であるはずだ。
異なるベクトルに向かって意味を感じられない苦労は拷問に等しいと思うが考え違いだろうか?

自分だけでなく、周囲にはこんな考えを持っていそうな人が複数いると思われる。
自らの境遇や思いを発信して環境の改善を勝ち得た人もいる。しかし、彼の環境は改善されても、その陰で新たに環境が悪化した人が生まれている事を忘れてはいけない。
「不幸のボール」は実は減ってはいなかったのだ。自分の手を離れただけで、誰かの手に渡っただけなのだ。
こんな事で全体が幸福になるのだろうか?

諸悪の根源は一体何なのだろうか?

「不幸のボール」の存在を見て見ぬ振りをする事か?
それもあるだろうが、「不幸のボール」は何故生まれたのか?
そう考える必要もありそうだ。

大きな組織にいる。給料も安定している。退職金も出る。年金も受けられる。そんな資格を維持する為なら不幸のボールの一つや二つどってこと無い・・・そう考えるべきなのか?
こんな結末を次の世代が憧れる訳がないだろうし、成長の原動力にもならないと思う。

赤ちょうちんで現実逃避・・そのくらいで済んでいるうちに何らかの予防をしておく必要があるだろう。転職とか、早期退職とか、そういう事も含めて。



希薄な知識、低レベルの価値観・・・そういったものが権力と結びついた時、このような悲劇は加速度を増して行く。恐らく。

内科医も外科医も獣医も歯科医も全て「医者」という括りで考える。
機械技術者も電気技術者も「エンジニア」と一括り。
こういうびっくりぽんな考えが何処かに潜んでいて、そこから悲劇が始まるのかもしれない。

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